で、結局は神田に俺は行くことになる。もうそのことについて、俺は考えるものかと、なぜか言い聞かせて北風に身を縮ませながら、午後の神保町を歩いている。
「あぁ、やっと来てくださった。本当にひどいですよう、旦那も」
カランとおなじみの鐘を鳴らせば、和寅の奴が待ちかまえていた。
「……手前、案外と策士だな」
俺は外套も脱がずに、腕を組んで奴を睨みつけてやるが、こいつは動じる気配も見せやしねぇ。
「へ?あっしがですかい?」
和寅の奴はキョトンとした顔で俺に応じてくる……ったく、こいつも結構なタヌキだ。まぁ、これぐらいの芸当がなきゃ、礼二郎の世話なんか出来っこないんだろうが。
「何も総一郎さんまで引っ張り出さなくてもいいだろ?」
「いやぁ、総一郎様は毎日お電話くださいますから。旦那がちーっとも顔を見せてくださらないんですよって、お伝えしただけで」
「……それを世間ではちくったって言うんだよ」
「いやですよう。人聞きの悪い。あっしは本当の事をお伝えしたまででさぁ」
「本当の事、な」
俺が苦々しくつぶやく一方、和寅の奴は清々しい程、明るくまっとうに言い切った。つまり、本気でこいつはそう思っている訳だ……ま、こいつにも立場ってのはあるだろう。それに、俺がこうして来ているんだから、和寅の目的は達している。それに、ごちゃごちゃと物事を蒸し返すのは、俺のシュミじゃねえ。
「……で、いるんだよな?」
俺は顎で私室の方を指す。和寅は大きく頷いた。
「おられます、おられますとも!」
丁寧に繰り返す和寅の声を聞きながら、俺は私室のドアを開けた。
※※※
礼二郎の事だから、どうせ寝ているんだろうと、思いながら部屋に入れば———
「!」
思った通り、礼二郎の奴は寝ていたが、カーテンを開けはなった窓辺にもたれて眠っていた。
——— なにやってんだよ……こいつは
窓辺に椅子を運んで、こっぽりと毛布を体に巻き付けている。一応は自分の体調は理解しているらしい。
——— まぁ、こいつにしたら上出来か
やれやれと俺は息をつく。そして、あらためて眠り込んでいる礼二郎を見た。確かに、すうすうといつものように眠っているが、頬はそげている。寝顔もいつものようなお気楽さはないような気もする。
——— それにしても、相変わらずの人形面だ
そこに俺は、安心をしていいんだろうか?
「……遅い」
「悪かったな」
唐突に目を覚ますのも、いつもの事だ。寝ぼけ眼の鳶色は潤んで俺を見上げてくる。それにしても、久々に逢う者同士の挨拶に、これがふさわしいものかどうかは判らない。そういえば、年が明けて初めて逢うんだったな、と今更に思い出しもするが、松も取ろうかという頃になっちまったんだから「明けましておめでとうございます」なんて年明けの挨拶も間抜けすぎる。そういえば、和寅にもろくな挨拶をしなかったから、まぁいいか。
「いつ来た?」
「さっきだ」
「……おかしいな、どうして気づかなかったんだろ」
寝とぼけた声で、礼二郎は窓辺に目線を送っている。おい、手前———まさか手前?
「退屈してるんだ。ここからだと来る奴が大抵わかる」
「……そうかい」
俺はこそりと安堵の息をつきかけるが———
「誰が忙しいだって?」
「へ?」
思わず俺は息を呑み込んだ。礼二郎の奴がでかい目を瞬かせていたかと思ったら、すうっと小さくして俺を眺めてきた。あ、視てやがる……と思ったらもう遅い。
「忙しいって言うから、我慢してたんだぞ!」
まだ風邪声が抜けきれない、力が入りきらない声と毛布と共に、礼二郎は立ち上がって俺を睨みつける。その唐突さに、俺は思わずよろめいていた。
「おい、何だよ。急に!」
「なんで旗ちゃんと猫目に行った!」
「あ」
そういえば、そんな事もあったなぁと、言われて俺は思い出したが……
「ひどいぞ、修ちゃん。僕を仲間外れにしたんだな!」
「仲間外れって、あのなぁ……手前」
ひどく餓鬼っぽい単語が、妙に赤い唇から飛び出してきて、俺は困惑する。あれは降旗の奴がこっちに出てきたついでの成り行きで逢っただけで、別に礼二郎を除け者にしようとしたつもりはない。まぁ、寝込んでいたのは確かに知っていたが……しかし、こうして礼二郎に指摘されるまで綺麗さっぱりと忘れていた。
「そっちがそのつもりがなくっても、結果的にはそうなっている!」
勢いよく言ったはいいが、礼二郎はゲホゴホと派手にせき込みながら、また椅子に戻る。そして、またぎゅっと毛布を体に巻き付けながら続けてくる。
「大体、あーゆー場じゃ、いない奴の話になると相場は決まっているじゃないか———それも共通の!」
「うっ!」
確かに礼二郎の言う通りだ。結局あの時の猫目での話題の中心は、礼二郎の事になっていたような……気がする。俺が呻けば、礼二郎はホラ見ろと目線で俺を非難してきやがる。
「図星だろう、修ちゃん」
「でもよう、それほど別に悪い噂をしてたわけじゃねえぞ?餓鬼の頃の話だからな」
「それ、楽しかったか?」
「……いや」
礼二郎の言う通りだった。降旗とだけならば、懐かしい話で終わったかも知れない。(あくまでも「かも」だが)だが、そこに完全な第三者の目が入ってしまえば———あっという間に、ケツの据わりの悪い、気恥ずかしいモノになっちまう。特に今回は……
「よりによって、猫目に行くなんてね。お前もヤキが回ったか?それとも逗子の寒風に空箱もやられたのか?」
ズケズケと礼二郎は言ってくる。だが、俺は別にヤキも回ってないし、師走の海風にやられたせいでもない。
——— 俺をそんなに買いかぶるなよ
俺にそんな深い考えなんて、あるものか。胸の内でつぶやいた俺は天井を仰げば、くすくすと礼二郎はらしからぬ———いや、よく似合った小さな笑い声を立てていた。
「どうせお前の事だ。考えなしで行ったんだろ」
毛布の中から、俺を見上げて笑っている。くそ、からかいやがったな、手前?
「……わかってんなら、そう言うなよ」
「言うさ。僕を一人きりにさせたんだからな!」
「!」
そういって、勢いよく礼二郎は立ち上がった。そして、俺に毛布を投げつけて———今度は俺が毛布に埋もれた。
「お、おい!礼二郎!」
「本当に退屈だったんだ!ずっと部屋に籠もりきりだったんだからなっ!さぁ、つきあえ木場修!」
「〜〜〜〜え?」
まとわりつく毛布を俺はなんとか投げ捨てる。それにしても、いい毛布だな、まったく!それにしても、こいつ……今なにを言ったんだ?
「おい、つきあえって?」
「散歩だ!さ・ん・ぽ!」

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