別に手柄が欲しかった訳じゃねぇし、そんな大それた野心も俺は持ち合わせているつもりもねぇ。ま・・・・・・下心を完全に否定できる程———枯れてもいないのが、俺の悲しい所ではあるが。
——— しかし、なぁ・・・・・・
だからと言って、あんなクソややこしいヤマにならなくったっていいじゃねぇかと、俺は切実に思う。
あれは十二月。
例えるのなら、とっくに忘れてた落とし穴にはまったような———真冬の海辺。
※※※
「あら、生きてたの」
「手前こそだろうが」
「言ってくれるじゃないのさ……あら?」
しまったな、と思ってみたところでそれは後の祭りだった。習慣とまではいかないだろうが、いつもの調子で猫目に足を向けたのはいけなかった。考えてみたら、この店で俺は気楽に呑めた記憶があまりないんだが……どうして来てしまうんだろう。
「やあねえ、顔見せた早々にため息なんかついちゃってさぁ」
辛気臭い下駄面なんて洒落にもなんないと、ズケズケと客を客とも思わない女主人の毒舌がカウンターの中から容赦なく降りかかってくるが……あれ、この状況はどこかで俺は見たことあるんじゃないか?
「そうかい、そいつは悪かったな」
その状況を思い出せないまま、俺はお潤の罵声を聞き流して、いつもの席につきながら言う。
「連れがいるんだ、ちったあ接客もどきしろってんだ」
そして、適当に座れよ———と、後ろにいる降旗に声をかければ、奴は俺のひとつ向こうの椅子に腰を下ろした。
「そうねー、初めて見る顔よね。で、こちらの方は?」
「……幼馴染み、だな」
逗子の件の事があって、この降旗の俺は再会した訳なんだが———どういう風に接すればいいのか、俺は正直悩んでいる。確かに、小石川の幼馴染みであるには違いない。だが……幼馴染み、言い換えれば〈友だち〉と言い切れるほど、当時から接していたかといえば、そうでもないような気がする。
「へぇ、幼馴染みなの?」
「えぇ……まぁ」
降旗は静かに頷いている。あれから少しは時間が経過したせいだろうか、再会の時よりも多少落ち着きが出てきたような気がする。まぁ、悪い傾向じゃないだろうと暢気に構えている場合じゃなかった。
「このゲタと幼なじみってコトは、あのボウヤともなの?」
「———ボウヤ?」
お潤の言葉に、降旗は声は素っ頓狂な声を出す。そりゃそうだろうよ……っていうか、なんであいつの事をボウヤ呼ばわりするんだろう。まぁ、なんとなく解るような気もするんだけどな。
「ボウヤって……」
「え、知らないの?ほら、探偵の」
「あぁ……礼二郎君の事ですか」
ほれみろ、妙な言い方をするから、降旗の野郎、顔を引きつらせているじゃねえか。三十路越えた野郎をフツーそんな言い方をしねえぞ、やっぱり。
「えぇ、そう……なりますかね」
「あらぁ、なんだか煮え切らない口調ねぇ。どーせ、ちっちゃい頃にこのゲタにいじめられたりしてたんでしょ?」
どうよ?とお潤の奴、半分俺に言ってくる……ちょっと待てよ、手前俺をそんな風に見ているのかよ?ま、見られたところで、どうでもいいんだけどよ。
「いや、修さんは」
「修さん?」
降旗の言葉に、今度はお潤の奴が素っ頓狂な声を上げやがった……うわ、なんか話が(俺にとって)最悪な方へ進んでねえか?
「修さんは、そんな事をしませんでしたよ。むしろ、庇ってくれていたのかな」
「へぇ」
そうなの、とお潤はちらりと俺を一瞥してから、降旗の話に相槌を打つ。
「子どもの頃から……意外と面倒見がいい」
あぁ、意外なんて言ったら怒られるかな、と降旗は呟いて肩をすくめれば、ふうんと納得したのかしないのか、どちらともつかない声をお潤は出している。
「あんまり、周囲に馴染めない子どもだったから」
そう呟くように言って、降旗は出された水割りを口にした。確かに、あの当時のこいつは妙な所があった。どこかしら浮いている、と言っていいのかどうか。まぁ、年端もいかぬ子どもがあんなものを目撃してしまったのだから、そうなったのは仕方がないと———今だから言えるんだろうと思いながら俺もグラスに口をつける。
「前から聞きたいと思っていたんだけれど、どうして修さんは、僕をいじめなかったんだ?」
「あ?」
思わぬ問いかけに、俺は口にした水割りを吹き出しそうになる……もうちょっと状況を見てから聞いてくれねえかな、まったく。
「どうしてって……言われてもなあ」
そんな昔のことをいきなり言われたって困る。それに、俺は降旗を庇った記憶もない。
「正義感でもあったの、あんた?」
「……まさか、そんな高級なもんは持ち合わせてねぇよ。まぁ———なんとなく、だろ。ひょろっこい奴が一人、ふんばってたんだ」
「ふんばってた……ね」
思い当たるのか、降旗の奴は苦笑する。そう、こいつはなんだかんだと、頑固に手前の敗北を示さなかった妙な奴だった。だからこそ、余計にいじめられたとも言えるが……
『旗ちゃんって、すごいねえ』
『あいつがか?』
ある時、こそりと礼二郎の奴が俺に耳打ちをした。
『うん、すごい!』
なにがどう、という理屈をすっとばしているのは礼二郎らしい。が、こいつが一目置くんなら、そういうものなんだろうと、その時の俺は思ったんだろう。そして、そこに俺のどうしようもない天の邪鬼気質が合わさって、降旗の奴に影響をしたのだろう。
「それじゃあ、探偵の坊やはどんなコだったの?」
「どんなって言われても……」
僕はそれほど親しくはなかったですよ、と言って降旗は俺を見る。なんだよ、手前。
「それこそ、修さんに聞いた方が」
ふん、そう来たか。まあ確かにその通りだから、俺も一気に言ってやる。
「それこそ今と変わらねえよ。もっとも、餓鬼の頃の方が今よりもちったぁ可愛気もあったかな」
礼二郎の昔を問われても、正直困る。それに、思い出話を求められたとしても、本当に困る。あいつと俺は幸か不幸か、ずっと同じ調子で今に至っているんだから、別段昔の事を掘り返す必要がない。全部が昨日の話になると言えば———流石に大ざっぱすぎるかも知れないが、俺と礼二郎の歳月はそういった風に流れている。多分、これからもそうなんだろうと、妙な確信というよりも諦めも入ってはいるが。まぁ、今は礼二郎の事は置いておくとして———降旗の事だ。別段何を考える訳でもないが、一度は切れたような縁が、こうしてまた近くなるとは思わなかった。そして、こいつを思考の迷路に迷わせた遠因……いや原因が俺にあったとは思いもしなかった。(一番の根源は、勿論あいつらだが)
「修さんのせいじゃないですよ」
「!」
降旗の声で、俺の他愛のない思考は破れる。
「多分、僕は———誰かにそう言って貰いたかった」
「……誰か、か」
しかし、俺の考えなしの一言で、手前の人生を決めちまった事実は消えないぜ?手前が納得してくれたとしても。なんで思い出しちまったんだろうなぁ、俺は……
「あの話を聞いてくれたのが、修さんと礼二郎君で良かったんだと思ってるし、なんだかんだと性に合った」
だから、気にしなくていいと———降旗は続ける。
「性にあった?」
「分析のほうが、歯医者よりも僕には似合っている」
そう言って笑うが、それを丸ごと信じるのはやはり難しい。
「それはそうと、ボウヤはどうしてんのよ。あの子ひとりのけ者にしてんの?」
「まさか、そんな事はしねえよ……あの馬鹿、逗子の海岸で風邪を拾いやがってな」
「冬に逗子?」
「え、あれから?」
そういえば、この話は降旗にもしていなかった。俺も直接見ていた訳ではないから、色々な方面から聞いて取りまとめた結果だ。
「おう、遠目でみてただろ。あれから派手に海の中でじゃぶじゃぶとやってたらしい」
それだけなら、馬鹿な野郎だで終わるところだが、礼二郎の馬鹿野郎は、証拠物件の気色悪りぃしゃれこうべを持ち出して、元のかみさんにそれを海へ投げ捨てさせたとは、流石には言えねぇ話だ。つか、誰も止めなかったのかよ……まったく拝み屋も肝心な所で役立たずだ。(もっとも、あいつが一度でも役に立った事があったと言えるかどうか)
「それで、風邪ひいて寝込んじまってるんだとよ」
「寒かったからなぁ……」
しみじみと降旗はつぶやく。そうだよな、あんな寒い時に海に走る方が本当にどうかしてるよな。
「あらぁ、可哀相に」
「可哀相なもんか」
お潤の言葉に、ケッと俺は毒づいた。なんだかんだと言って、こいつも女だ。あの人形面に騙されているから可愛いもんだと思ってたら、フンとお潤が鼻で笑ってきやがった。
「……あんたみたいなゲタ面みるよか、ボウヤの顔を見ているほうが精神衛生上いいに決まってるでしょ」
本当に言ってくれるな、この女は……俺は反論する気もなくため息をつけば、隣の降旗は肩を震わせて笑っていた。うん……まぁいいさ。古なじみのよしみで、ツッコミは入れないでおくことにしよう。
※※※
それにしても、これほど酷い年があるとは思わなかった。思い返すのも忌忌しいが、梅雨明け以降、本当にロクな目にあっていなかった。ま、半分は俺自身が招いた結果といえるだけに、余計に腹も立ってくる。
「なによう、似合わないため息なんかついちゃってさ」
「るせえな」
空になったグラスを、お潤に突き出して黙らせる。
「あんたには似合わないわよ。それに」
「それに?」
「暗いのってやりきれないじゃないの」
そう思わない?とお潤は降旗に訊ねる。
「まぁ……そうですが。明るい暗いで善し悪しが決まるのは電灯ぐらいだそうですよ」
「アラ、言ってくれるわね」
「妙な理屈だな、そいつは」
「教会で、礼二郎君が言ったんですよ」
「ふうん」
妙な事を言ったもんだが———礼二郎にしてみたらひどくマトモなように思えた。風邪の前兆はそこら辺からあったのかも知れない。
……歳末で忙しくなる前に、一度は顔を出しておくかと思いながら、俺は新しいグラスを手にした。とりあえず、いまは穏やかに新しい年を迎えたいとささやかすぎる願いを抱えながら。

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